丸い三角形

出来るだけ快適で楽しい生活

文章を書く

高校生の時とか、大学生の時は何も考えずに毎日日記をインターネットに書いていたのに、なんで大人になったいまあれだけの膨大な文章を書くことができなくなってしまったのだろう。そんな思いがあったりなかったりするので、文章を書くトレーニングとしてできるだけ毎日文章を書こうと思ってる。僕は文章は誰かに強要されて書くものなんかではなくて、自分の中のグラスの水が溢れる瞬間に書けばいいものだと思って居ます。だから僕は文章でご飯を食べていくことはできないんだと思う。なにかで西尾維新は毎日20万文字の文章を書くというのを見てびっくりしたことがある。散文のようなグラグラとしている文章ではなくて、誰かが生きて考えて行動する別の世界のことを20万文字も書くなんて一体どういうことなんだ。西尾維新がまだデビューする前にメフイスト賞の座談会で「京都の彼」と呼ばれていて「一週間で一作かける」という紹介をされていたのを今思い出した。それを読んだのはとても最近なんだけれど、小説家って僕が考えいていた知的で文系な職業でもあるけれど本質はエクストリームスポーツに近いなと思ったのだ。例えばスケートボーディングとか、スノーボードみたいな。小説はスポーツかと言われたそれは絶対に違うと思うんだけれど、頭の中で全てを完結できるような競技でも無いような気がする。いつか小説がオリンピック種目になったら面白いですね。夏季オリンピックよりも冬季オリンピックが似合うようなきがする。勝手に。

話がそれたけれど文章を書く能力がガクンと落ちているということについて、僕はそろそろ真剣に向き合わないといけない。いつか僕に誰かの打ったホームランを見て「そろそろ僕の出番だな」とか思うような日がくるかもしれないのだ。その時にぶんぶんとバッドを振りまくることができるように今のうちにトレーニングを積んでおきたい。思ったことをなんでも書くこと、出力との距離感を近いものにすること。このふたつが重要なことなんじゃないかなと思い始めている。思ったことはなんでも一回文字にしてみる。ぼーっとして仕事をしている僕だけれど、さすがに何も考えて居ないわけではないのだ。ぼーとしているなりに色んなことを考えている。今日も仕事中にボーとしながら絵を書いて居たんだけど、その時に落書きしていた文章が「おやすみなさい。またあした」だった。無意識のうちにおやすみなさいまたあしたを書いて、形を崩し、自分の好きなレタリングのデザインを探すという旅に出る。3Bの濃い鉛筆でいくつもの線を描いて、その中から自分の好きな線を拾っていく作業。そういう風に絵はできている。絵も微分しまくれば結局は線で、線も微分すれば点になる。文章だって微分すれば最終的には単語になる。言葉と言葉のゆるやかなカーブ、言葉と言葉の間のグラデーションで背景を塗りつぶすような。そんなことが言葉でできるようになればそれはそれはめちゃくちゃ気持ちが良いのだろうなと思うのだ。そのためにはとりあえずたくさんの多くのバリエーションの文章を書いていくことが大切だと勝手におもう。ほとんどが使い物にならないゴミのなかから自分の気に入った線を拾いあげて大切にすればいいのだ。

もう一点僕が文章から離れてしまった理由として、スマホの存在がある。ガラケーの物理キーボードはにちにちと小さなボタンを指先で押し込んでいく物理的な感覚があった。あの一文字一文字を打ち込んでいく快感は完全に脳をやる。後から読み返すための文章ではなく今この瞬間、マックブックのキーボードをカタカタとタイピングしている瞬間の気持ち良さのために書いている。だから僕の文章はいつになっても長くなるのだ。意味もないくせに、言葉を打ち込んでいく作業ばかりしているんだから困ってしまう。

明日から特に意味のない文章もたくさんかいていくことになると思うけれどみなさんよろしくね。